還暦~古希までにギターを攻略する

還暦までにギターを弾きこなす予定でしたが、古希までにはなんとか。

「高齢者は集団自決した方がいい」への本音

私も今年で60歳 還暦となり、一般的には65歳からが高齢者と言われるので「高齢者」という言葉には敏感にならざるを得ない年齢になっています。

「高齢者は集団自決・集団切腹した方がいい」という言葉はネットの見出しで目にしました。
これは成田悠輔氏の発言としてネット上に沢山溢れていますが、それぞれの投稿者の違いにより「自決すべき」「自決した方がいい」などとニュアンスが多少違っています。

私は成田悠輔氏が堀江貴文氏と議論してる動画を見たのですが、そこには「高齢者は老害化する前に集団自決・集団切腹みたいなことをすればいい」と書かれてあり、最初に目にしたものと実際はかなり印象が違っていました。

マスコミやネットのいつもの手法で、題材にインパクトを与えるために「老害化する前に」といった必要な言葉を省いて書いているのが殆どです。

確かに「老害化する前に」の言葉があろうがなかろうが、集団自決や集団切腹という言葉は過激であり、言葉だけを聞けば心穏やかでない高齢者は多数おられるでしょう。

更に動画の内容を見ていくと「企業や政治家のトップの立場の人に、コミュニケーションすら危うい人が居る」といったようなことで、凡そ我々一般市民には関係ないことであり更には「本当の問題はそのトップの周りに居る人たち(私たちも含めた)」であるとしていました。

「高齢者は集団自決した方がいい」という言葉だけが独り歩きしてしまい、それだけを見て「けしからん」などと言う老人が居たとしたら実に滑稽ではあります。

さて本題ですが、私には家族(親戚も)がありません。
子供どころか結婚すらしておらず、正直なところ「こんな人間が生きていて良いのか?」と思っています。これは私だけがそう思っているのではなく、私と同じような境遇の知人数名も同様なことを言っています。

子供を持つということは、現実的に将来の社会や年金を支える納税者を増やすことであり、子供が居る方は国家の為に充分に役立っているし、子供の成長の為に生きる意味があると言えますが、子供を持たない私たちのような存在は、歳を重ねる毎に納税のメリットがなくなり、更に高齢になると医療費・年金などでデメリットでしかありません。

ただ「社会に不要な人間なので消えろ」と言われると、少々抵抗感があります。
そこで成田悠輔氏も動画の中で言及されていたように「安楽死」というものを真剣に考えたいと思うのです。
「年寄りは死ねよ」と強制されるのは辛いですが、選択肢として「安楽死」という道があるのなら、自主的にその道を選べるのならば、少なくとも「生きていて良いのか?」という申し訳ない気持ちが変わってくる気がします。

宗教的・倫理的に問題あると言われますが、私の家は浄土真宗であり、クリスマスを祝うし、初詣に神社にも行きます。
しかし一番の私の宗教とも言える私の両親は「人の世話になるな」「人に迷惑をかけるな」といつも言っておりました。
であるなら、高齢化して自分の意識下にないまま無駄な医療費を使って現役世代に世話になり迷惑をかけてしまうより、意識のあるうちに身の回りを整理し(空き家問題など含め)、自分で決断できるようになれば国家にとってもメリットだと思えます。

もちろん「自殺」という一面もあるためより深い議論が必要だとは思います。
あくまでも年齢、生活環境、必要な資金をクリアした場合にのみの話であります。

まだ「老害化していない」と思ってはいますが、これは自分がそう思いたいだけであって、実際は社会から「クソ老害が」と思われているかもしれません。