還暦~古希までにギターを攻略する

還暦までにギターを弾きこなす予定でしたが、古希までにはなんとか。

『上手く描こうとするな』≒『上手く弾こうとするな』?

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「上手く描こうとするな!」
画家を目指していた友人が絵の先生からいつも言われていたそうで、絵の世界では割と良く使われる言葉のようです。
私は絵について全く知らないので、それがどういう意味なのかは分かりませんが、この言葉をギターに置き換えるとすると
「上手く弾こうとするな!」ということになります。

上手く弾こうとするなって言われましても・・・

ですが、確かに上手く弾こうとしてることに間違いはありません。いや、どちらかというと巧く弾こうとしてると言う方が近いかもしれません。

改めて考えてみると『上手い』ってどういうことなんだろうと。
音程が正確である、リズム感が良い、速く弾ける、表現力豊かに弾ける・・・
でも、そういうのって何かを表現するための最低限の事であって、上手いとはまた違うように思えます。

絵を描くという場合、目の前に林檎が置かれて、林檎そのものをまるで写真のように描いたら、巧いとは言われても間違いなくダメ出しされるだろうと思います。
それはギターの場合も同様で、誰かの曲をそのままコピーしたとしても、巧いねとは言われるでしょうが、それなら本物聴くわって言われますよね。
もちろんものまね芸の存在意義はちゃんとありますが。

「上手く描こうとするな」ということの本質は「上手いだけで終わろうとするな」にあるような気がします。
上手くて当たり前なのですから、そこに満足して留まっていてはいけないということでしょう。

林檎から、描く人が見えている本質を描き出すということなのかもしれません。

その友人は結局画家にはならなかったのですが、最近になって描き残した絵を見せてもらった時に思わずガーンとなる絵がありました。
鉢植えのシクラメンを描いたものでしたが、見た瞬間に「絶望」を感じました。
全く絵心の無い私でさえそう感じました。
いや、この言い方は間違っていて、描いた友人が「絶望」を描いたのではなく、見た私が「絶望」を抱ているので、そう見えたのだと思います。なので、他の人が見えればまた違うものを感じたのだと思います。

その絵を見た頃、私は自分がギターを弾くことに絶望というものが奥底にあったのは間違いなく、絵を見ることでそのことが表面化されたのだと。

シクラメンの絵は唯一、先生から少し褒められたらしい。上手さを超えた何かを描き出していたのでしょう。

そんなギターを弾ける日が来るのでしょうか・・・
来ないでしょう。